鎮魂の、祈りの言葉が、選りに選った、蓮糸で織られた當麻寺の曼荼羅のように、選りすぐりの言葉で織り綴られた、折口信夫氏の「死者の書」は、さらに川本喜八郎氏の人形アニメーションによって、現代のスクリーン上にこれ以上の顕はれはないと思える、細やかな、煌々しい光による一巻きの絵物語のように、織り綴られ、出現した。

美しい錦の衣(ころも)や、目にも彩な領布(ひれ)を纏う人物たちの背後に贅沢に置かれている、人形のサイズに合わせて復元された正倉院の調度たち、臈纈(ろうけち)の屏風、シルクロードを渡ってきた絨毯、経巻、硯、筆、袖カバー、錦の唐衣(からぎぬ)、纐纈(こうけち)の裙(も)、夾纈(きょうけち)の領布(ひれ)、それら日常品や美術品のリアルで生き生きとした存在感に目を奪われるばかりでなく、その中に凛として端座する姫、浄土の荘厳をうつす寺の伽藍にたどり着いた喜びに、領布を翻し羽振(はふ)り、舞う姫、秋分の嵐の中の場面の凄まじい臨場感、様々に現れるヴィジョンに釘付けになりながら、あまりのリアルさに何度も口の中で悲鳴を上げていた。印象的な場面の一つ一つが、人間の魂の本来の豊かさを見事な調和を持って裏打し、圧倒する。こんなにも見る側の魂が揺さぶられるとは。

何と美しい作品がこの時期この世に誕生したことだろう。
澄みきった一柱の水晶のような郎女の、祈りの作業に、魂を円(まどか)にし荘厳なる西方浄土の阿弥陀の姿へと導かれる大津皇子。それは、挫かれ、手折られても、未来、また東の空から生(あ)れ坐(ま)せる、若日子(わかひこ)の御魂。
この作品は、その新しい、日の光の出現を、祝うように思えてならない。




<岡野玲子(おかの・れいこ)>
1982年『エスタープリーズ』でデビュー。代表作に小学館マンガ賞受賞作『ファンシィダンス』、『両国花錦闘士』、『コーリング』等。CD『eyemoon』、『喜瑞−三方楽家の伝承』他の音楽プロデュースやコーディネートなど、ジャンルにとらわれることのない幅広い活動も行っている。手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作である平安時
代に実在した陰陽師・安倍晴明を描いた『陰陽師』は、13年に渡る連載が昨秋完結。
現在は『妖魅変成夜話』(月刊百科/平凡社)を連載中。

岡野玲子公式サイト http://www.najanaja.co.jp/

 




かたや「道成寺」や「火宅」など独自の様式美による人形アニメーション映画の制作や、NHK人形劇「三国志」「平家物語」の人形美術で、世界各国で高い評価を受ける川本喜八郎監督。そして、寡作ながら「狐と兎」「霧につつまれたハリネズミ」「話の話」など、詩的なアニメーション映画を作り続けて、世界的に著名なユーリー・ノルシュテイン監督。日本とロシアの国境を超え、敬愛する作家同士である。川本監督の新作「死者の書」(折口信夫原作)が完成した昨年末、ユーリー監督の来日にあわせての対談は、おたがいの作品について、そして芸術や文化についてなどなど、尽きることはなかった。

「死者の書」をめぐって
ユーリー 最新作「死者の書」の完成おめでとうございます。私が初めて見たのはモスクワで、通訳なしでした。理解できないことも多かったのですが、私の前を映画表現が流れていく、そう感じました。そしてこれは、龍安寺の石庭のような作品と思い、たいへん驚きました。
二回目は東京で、大きなスクリーンで見ました。ところどころ通訳をしてもらいましたが、またまた驚きました。ここ十年、いや、それ以上、これほど美しい作品は見たことがない。チローさん(川本監督のこと)は、この色彩をどこから持ってきたのか。オープンで明るく、しかも調和がある。信じられなかったですね。
私の理解は足りないかもしれませんが、非常に高潔な愛を感じました。決して日常生活の愛にはなりえない愛。この愛は高潔で理想的なもので、そして人々の心にある理想を擬人化、象徴化している、そのように思いました。
また、豊かな機知にあふれ、非常に愉快で、思わず笑いが浮かんできます。語り部の老女が出てくると、それだけでおかしい。チローさんにはあふれるユーモアの蓄積があります。

川本 だれも愚作を作ろうと思って映画を作ってはいないんですが、愚作というものは生まれるでしょ?出来あがったときに、今までの作品はだいたいこれくらいの結果になるだろうと想像して、たいていその通りになります。今度の「死者の書」の場合、できあがってみて、いい映画なのか悪い映画なのか、自分で判断がつかなかったところがあります。
中年以上の人の試写の反応は、わからないという人もいたけれど、全体としては悪くなかった。とにかく皆さんに見ていただいて、すぐでなくてもいいから、いいか悪いか判断してほしいですね。

ユーリー 理解できないというのは、すっかり脳が商業主義になっているからです。この作品から、文化とか愛、真理といった精神性を理解できるチャンネルを開きたいですね。

川本 とてもわかりやすい愛の話を作るとか、わかりやすい戦争の話を作るとか、そういうことでないほうがいいと思います。その意味ではユーラさん(ユーリー監督の愛称)の「話の話」や制作中の「外套」(ゴーゴリ原作)は、今までとは違った世界を見せてくれます。
この「死者の書」でも、僕が今まで作ったことのない、誰も踏み込んだことのない世界に踏み込んでいる、という気はしています。
今回、ユーラさんに、アニメーションを少しだけお願いしました。大伴家持が出てくるんですが、家持の周りは執心のある人ばかりです。優れたといわれる人はみな、物事を絶対に諦めなかった人ではないか、家持がそう思っているところに桃畑にいる藤原南家の郎女が出てくるシーンで、その郎女を。

ユーリー 「死者の書」は商業映画ではないけれど、私は多くの人が見にくると確信しています。なぜなら、こういった映画、作品がこの世に必要かどうか、何を与えてくれるのか、答は明らかだからです。
芸術とは何でしょうか。私は頂上、高みだと思います。作品が生み出された時代に、きちんと評価がなされないかもしれないけれど、高みが秘められている。それが芸術作品だと思います。
チローさんの場合は、積み上げてきたものがあり、よく知られています。だから多くのサポーターもついています。まさに人民の、人々の芸術作品といえるのです。
とてもうれしいのは、人々が何のために、誰のためにお金を使う必要があるのか、わかっていることです。すばらしいことです。

若い人とのワークショップ
川本 いま考えてみると、戦後60年経って、日本はどうも出発を、滑り出しを間違えたような気がするんです。その結果が今ここに出てきて、また戦争を始めてもいいような意見が出ている。原作者の折口博士は戦後すぐに、弟子の岡野弘彦先生に、「アメリカの十字軍のような宗教的な情熱に負けた。それを単純に物量に負けたと考えていると、50年後の日本は危ない」といわれたそうです。たしかにその後の日本人は、経済発展をしてこれでいいんだ、経済大国といわれていい気になっている。
その結果、どんどん人間の心を失ってしまい、人殺しが日常的に行われる世界になってしまった。「死者の書」は、日本人はこれでいいのか、そんな問題提起になっているのかな、と思っています。

ユーリー そうですね。現代をよく見つめ、問題提起をしていかなきゃいけない。そしてやはり、人は共感していかなきゃいけない。

川本 ユーラさんの「外套」でも、時代は前の世紀、ロシアの貴族の世界の中に、力の弱い庶民の生活を通しての問題提起でしたね。

ユーリー 共感ということについては、ここ数年、東京で若いアニメーター志望の人たちとワークショップを開いていて、今年(2005年)は10日間、若い人たちと付き合いました。最後になって、やっと彼らは心を開くようになって、自分の創作行為をさらけ出すようになりました。
ものを作るというのは、生きていく力があふれていなくてはいけない。心が閉ざされていてはいけない。彼らはあまり本を読んでいないし、考えてもいない。だから繊細な共感が描けていないのです。
もう一つ、若い人たちへの印象ですが、恐ろしいほどの孤独、あたかも国から捨てられた孤児か、あるいは物質とみなされているかのような、捨てられたもののような孤独さです。彼らには個性があって、それが将来、花と開くか、という存在なのにです。

川本 彼らは自分の意志で、ユーラさんのワークショップに参加しました。それで、自分では気づかないかもしれないけれど、明らかに変わったと思うんですよ。それがすぐ行動に出るかどうかは分からないけれど、彼らがものを作っていくうえで、この影響は大きい。
僕は若い人たちとのコンタクトは今まであまりなかったんです。今回この「死者の書」を作るにあたって、多摩美(多摩美術大学)と協同作業をしたんです。その条件というわけではないんですが、授業をすることになった。困ったな、経験はないし、出来るのかな、と。で、やってみたら、とても真面目で、渋谷あたりを遊び歩いているガングロの女の子とは違う。理解力はあるし、それなりに苦労している。
ただ、創作で「セルフポートレートを作りなさい」と絵コンテを描かせると、だいたいが「朝起きました、表へ出ました、歩いているとつまずいて転びました」なんです。「ただの絵日記じゃないか、セルフポートレートというのは、社会と自分がどのように関わっているかということを問題にしなくてはいけない」と言うと、とても面白いものを出してくる学生さんがいるんですね。話せば理解できる。それで、お互いに、僕も教育された、といういい経験になりました。

ユーリー ワークショップの10日目に突然、こんな課題を出したんです。「この10日間の印象を、小さな絵にしなさい」
そうしたら四分の三は、なかなかいいんです。しかも象徴的にうまく描いている。最初、絵コンテを描かせても、どうしようもなかったけれど、最後にはけっこうよくなったのです。

川本 変わったんですね。

ユーリー ええ、良いほうに変わってくれまして。とてもおかしな絵がありましたよ。サーカスの球使いが私で、軽々と球を扱っているのに、生徒がそれをよいしょよいしょと引っ張っている。
若者はちゃんと付き合ってみると、まじめで、苦労もしていて、力もあると言われましたが、力はあるんですね。とにかく10日間でこれだけ変わるということは、どれだけ力を秘めていることか。戦争や軍備に使う資金があれば、その資金を、若い人の個性の開花に使ってほしいですね。

川本 日本ではぼくたちが作るというと、文化庁あたりはお金を出してくれたりはしますが、若い人たちがやろうとしても、お金はなかなか出ないですね。
たとえばイギリスでは、アニメーションといえば、ジョージ・ダニングの「イエローサブマリン」くらいだったのが、ニック・パークやクエイ兄弟など、一気に花開きました。これはあるプロデューサーがテレビ局からお金を引き出して、若手に自由に作らせたからなんです。5、6年して、彼らはすばらしいものを作るようになり、財産になった。これは国だろうが公共放送だろうが、できないことではありません。

ユーリー それはすばらしい。ただ、アニメーションだけでなく、いろんな分野で、若い人たちはものを作ろうとしているのに、大勢の人が読む本しか読んでいませんね。そうではなく、彼らの創作活動に必要なものを読まなくてはなりません。

川本 いい助言者がいない、ということもあると思います。そうしていいのかわからない。

ユーリー それもありますが、もっと根源的な、考えることが欠けているように思いますね。
まず、思考方法がわからない。考えることは楽ではないし、苦労が伴う。快適ではない。今はみんな快適さの方向ばかり向いています。ほんとうはコントラストが必要です。水がおいしく飲めるには、のどが渇いていなくてはならない。家の暖かさを感じるには、冷たい外の感覚がなければならない。そういうコントラストですね。

川本 そういうことですね。一種の飢餓状態がないと、表現したいという意欲がわかず、なかなか創作できない。アニメーターにしろ、作家になろうという人は、片手間ではなれない。自分の人生を全部賭けないとね。

ユーリー プーシキンの詩「預言者」の一節に「心の渇きに苦しみ/ 私は暗い荒野へ引きずられていった」とあるんです。精神の飢餓状態というのは歴史的なことではないでしょうか。
アメリカの学者がある実験をした。人間を体温と同じ温度の液体に浸した。すると、まったく何の意欲も示さなくなる。快適というのはそういうことなんです。快適だと、その状態を表す3行さえ、書く意欲がなくなってしまいます。

川本 今の日本は、飢えているという状態がなかなかない。そこが問題かもしれません。

ユーリー そこなんです。飢えていない。ではどうするか。快適で、飢えていない状態のときに、精神的な緊張、精神的な高みがとても必要です。その時にはじめて人はいろんなことに共感でき、飢えている人のことも考えられるようになります。

川本 これをわからせるのが文学であったり、芸術ですね。

ユーリー 散文でも、詩、短歌、俳句、絵画でも、いろんな表現があるでしょう。強烈な表現がある。そこから相手の喜びや悲しみ苦しみを生きる、自分のものにする、一種の強烈な共感ですね。それこそが、いろんな意見の人を繋ぐと思うし、それなりの真実です。

川本 そういうことですね。若い人たちに、ぜひわかってもらいたいと思います。
(ロシア語通訳・児島宏子)




<ユーリー・ノルシュテイン>
1941年生まれ。アニメーション作家。「25日・最初の日」で初めて監督を務める。以後「狐と兎」「霧の中のハリネズミ」、世界各国の映画祭でかずかずの賞を受賞した「話の話」など、独特の詩的なアニメーションを制作。その作品は高く評価されている。「冬の日」にも参加。現在、ゴーゴリ原作の「外套」を製作中。

『暮らしの手帖』 第4世紀20号(2006年2/3月号)
定価900円(税込) A4変型・184頁

暮しの手帖社 〒169-0074 東京都新宿区北新宿1-35-20 電話03-5338-6011
営業時間: 9時30分〜17時30分(土・日・休日は休業)
HP http://www.kurashi-no-techo.co.jp/contents/home.html

 




映画『死者の書』を見に行った。
多分、二度と挑戦する作家はでないのではないか。
折口信夫の小説を、小説の態を取った言葉と情念、いや〈執心〉とを、川本喜八郎はよくぞあそこまで映像化出来たものだと、ただただ感服した。映像作家・川本へのオマージュはいくら言葉を費そうと、完璧には綴れない。
とりあえず私が伝えることが可能な事柄だけでも書いてみたい。

※続きは、ブログ『遊行七恵の日々是遊行』にてご覧になれます。