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「死者の書」はとても不思議な話で物語そのものがとても面白いんですね。 当麻寺に伝わっている「蓮糸伝説」を元にして、折口信夫博士が古代のイメージをふんだんに盛込んだ 日本人の在り様と言うんでしょうかね、そういうものを全部詰め込んだようなすごく面白い話なんですよ。  それをやるに当って中心になっているのは人間の“執心”、つまり自分が心をとらわれていってそれに向かって どんどん向かって進んでいく人間の一途さと、その先にある“悟り”の境地。 そしてその二つというのは人形が一番得意とする部門なんです。  「死者の書」をやるとすれば、人間の役者ではとても無理な物語であろうと思っていたんです。 これは読んだ時からそう思ってました。 で、これは人形の世界だなということでこれを人形のアニメーションにしたいということなので、 その辺りを見ていただくと・・・つまり人間の役者と人形の違い、とかその表現の違いであるとか。 そういったものを見ていただくのは面白いところかな、と思いますね。
 

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初めはね、「死者の書」読んでもわからないんですよ!難しくてね(笑)。話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、 時代が遡ったり前へ来たり・・・そういうようなことをするもんですから、本当に翻弄されて初めはどういうことがテーマなのかわからなかったんですね。
で、その話の主人公になるのが、藤原の南家の姫君。その相手になるのが大津皇子の亡霊なんですね。
亡霊とその人間の姫との交流、そこへ仏教という新しい思想が入ってきまして、その仏教に帰依した姫君が、大津皇子のイメージと阿弥陀仏のイメージとが 段々にないまぜになっていって一番最後は一つになってしまうという・・・そういう話、だと僕は理解した訳です。 色んな理解があるだろうと思うんですけど。
日本の古代からずーっと続いてきた大伴家の在り様とか、新興貴族の藤原家とそれから・・・もっと先の話、というような延々と日本人の思想・在り方が続いてゆく というところがどういう風に変化していって、その頃の唐の文化がとうとうと流れてきた奈良の都で人々がどういう反応をしていたのか、仏教という新しい思想にどうやって向かい合っていったのかが段々にわかってくる。そんなところがとても見所だと思います。
 

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人形の面白さかなぁ・・・。
人形のアニメーションの面白さっていうのは、まだ知らない人が沢山居ると思うんですね。ですからそれを知ってもらうというのが第一、だと思いますけどね。
アニメーション作家は皆それぞれの人形に対する向かい合い方でもって対していると思うんですけれど、面白ければその作家はちゃんと人形を知っているっていうことですよね。 面白くなければそのアニメーション作家は人形をよく理解していないって事になると思うんです。
ちゃんと人形を理解していればどういう形であれ面白くなる、ハズなんですね。
人形はそういった面白さを最初から持ってる訳ですから、それを理解しないでもって、例えば人形アニメーションでは無い方が良いような映画、カートゥーンでやった方が良いとか、 ライブアクションでやった方が良いとか、そういったようなものを人形に無理やりにやらせれば人形は良く動かないからつまらないものになると。 そういうことがあると思いますね。
 

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もう・・・それはね、チェコのイジィ・トゥルンカという巨匠の『皇帝の鶯』という作品がありまして、これは長編なんですけど、その中の人形アニメーションの部分は約半分位、 半分以上かな。というくらいのものですけれど、後のライブアクションの部分は子供の役者がやっている、アンデルセンの『皇帝の鶯』を元にした話です。 これがちょうどその頃の、チェコスロバキアだった頃の民衆が望んでいる自由への渇望とかね、そういうものを良く表している作品なんですね。
それを僕が三十五歳歳位の時に見て、まだ自分が人形のアニメーションをやるかやらないか悩んでる頃で、もう人形が嫌で一生こんなことやってるより何か別のことをやった方がいいんじゃないかと思ってた時にそれを見たんですよ。 そしてそれに大変感激しまして、人形でこういう詩が語れるということは素晴らしい事だと思って、まあ、そこで僕の一生がそこで決まっちゃったようなそういう映画だと思います。
Q.人形アニメーションをやっていなかったら?
何をやっていたでしょうねぇ、つまんない人形を作ってたかもしれませんねぇ。僕の師匠の飯澤先生が一番嫌ってた叙情人形みたいなものを作ってたかもしれないし、もしかするとまだ映画に戻って映画美術をやってたかもしれないし・・・・ いやぁ、よくわかりませんが、まあ人形をやるようになってたなーという気がしますね。